2013-12-24
愛されたいのは
責任を全て自分に追いやると、なんだかんだ意外とすんなり物事が解決する話


全部が全部という訳ではない。最近思った。
例えば「家庭環境が荒れるとその家庭の子供は素行不良が目立つようになる」というのが一般的だと思うし、それ専門の教育者達もその子供が素行不良に走る原因はそれだと言う人が多いと思う。自分の家も家庭環境が良い方ではなかったが、俺も、弟も、兄弟喧嘩こそ頻繁にあったものの万引きも血縁以外での喧嘩も全く無かったと記憶している。


家庭環境が悪く親に暴力暴言を吐かれていた人は、親しい人に対してまず暴言を浴びせる事がある、気がする。そうなると、そのつもりのなかった人は去って行くか暴力を振るう事になる、気がする。これは完全に菊地の身の回りしか見てない主観論だから気にしないで欲しい。
この輪廻に気付かず「どうして?」と人のせいにしたらアウトだ。どうして?となったらまず自分のせいにする。そして自分の振る舞いを客観視し悔い改めればいいのだ。そう思わないかい。
人間は反省のできる、その上次はどうしたらいいのかを考察できる生き物である。考察するのかは知らないがきっと犬もそう。猫も。ネズミも。


マイペースって良い話


マイペースな人はきっと常に客観的は人ではないかと思う。マイペースな人ほど幸せそうなイメージがある。昔の友人も今こそFacebookで見れば、ああ、こいつ幸せそうだなあと思う。それこそ、家庭環境にも影響されない凄い奴!という印象だ。きっと深く深く悩んだ結果そうなった人達ばかりではないかと思う。マイペースな人とは、なんだかんだ他人に気を遣いすぎた結果ではないだろうか。


この前仕事ついでにお父さんと、叔父さんの家に行った。茨城だった。警察がいない田んぼだらけの田舎だった。お父さんは兄弟が多くて、おじいちゃんが戦後まもなくみたいな人だ。お父さんの少年時代のおじいちゃんは、家族全員の前で歌を歌い子供に聞かせていたという。逆らうとお父さんはよく鼻に裏拳を喰らっていたという。可哀想だと思った。規律の厳しい会社かよって思った。逆らえない状況を作るのがうまいのはそういう時代の人だからなのか。今では全員、そんな事も無く暖かく笑える大人になっているお父さんや叔父さん。過去にきちんと向き合い、囚われずに他人の事も考えた上で行動していく姿が尊敬できるなと思います。菊地でした。


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菊地椋介(ギター)

短身痩躯で赤い髪の優男で左頬にある大きな十字傷が特徴である。一見朗らかで少し間の抜けた人物だが、かつては長州派維新志士で、幕末最強とまで謳われた伝説の剣客「人斬り抜刀斎」その人である。修羅さながらに殺人剣を振るい数多くの佐幕派の要人を殺害してきたが、ある不幸な事件から明治維新後は一転して「不殺(ころさず)」を誓い、流浪人(るろうに)として全国を旅し、弱き人たちのために剣を振るっていた。神谷薫との出会いや、同じ激動の時代を生き抜いた宿敵たちとの戦いを通じて、贖罪の答えと新たな時代での生き方を模索していく。

生来争い事を好まない性格だが、戦国時代に端を発する古流剣術飛天御剣流(ひてんみつるぎりゅう)の使い手で、ひとたび戦いとなれば逆刃刀という、峰と刃が逆転した刀で人智を越えた剣技を繰り出し、軍の一個大隊(当時の陸軍一個大隊は約1000?2000人)をも遥かに超える戦闘能力を発揮する。