2014-10-16
to die
いつもしてるけど、自分の話をする。今日はなんだか一段と、自己陶酔に浸りたい気分なのでございます。

「悪の教典」という映画を見た。恐ろしく淡々と人をぶっ殺していく映画だった。救いようがなくて、中盤、アッハッハ、と笑った。
それで自分も人を殺すときは淡々と殺していくだろうなと思った。相手が抵抗してこない限りは冷静な判断をすると思う。しかし自分は蓮見(映画でめっちゃ殺してく人)のようなサイコ・キラーでは無いし、もっとも、人を殺して地位を得ようとか、富を得ようとか、罪の隠蔽を図ろうとか、そういう考えには至らない。自分はコツコツとドラクエやモンスターハンターのプレイの如く涙を流しながらレベルを上げていったりアイテムをチマチマと集めていくほうが性に合ってる。と思うのだ。

そんな事を一日中考えてたら気が滅入った。高校の同級生やらその頃からの知り合いがたくさんいるSNSで「死にたい」と呟いた。この行為自体定期的なもので、何かあると自分はすぐ「死にたい」と呟いている。もっと死にたいと思っている人なんて星の数ほどいるのに、誰かに甘えて反応を得ようとしている自分が気持ち悪い。1週間のうちに何度か「死にたい」と呟く。呟くと「自分は特別に死にたい気持ちなんだぜ」という気持ちになる。それがきっと気持ちいいんだと思う。
割とみんなスルーしてくれるのだが、たまに心配してくれる優しい人がいる。嬉しく思う時が10割。「うち来なよ」とか言ってくれたり「私が殺すまで死なないでね」とか狂気じみてはいたりするもののなんだか愛を感じる言葉を放ってくれる人がいる。自分は到底1人では生きれぬのだと悟る。

「頼っていいよ」って言われて「君は支えきれるか?」と暗黙に問う。そしてまた暗黙に了解を得た後「じゃあ、頼るね」と言って助けてもらう。この行程を経て、ようやくなんか色々軽くなる。みんなそうだと思う。

後で読み返して死にたくなるんだろうな。死のう。

菊地椋介(ギター)

短身痩躯で赤い髪の優男で左頬にある大きな十字傷が特徴である。一見朗らかで少し間の抜けた人物だが、かつては長州派維新志士で、幕末最強とまで謳われた伝説の剣客「人斬り抜刀斎」その人である。修羅さながらに殺人剣を振るい数多くの佐幕派の要人を殺害してきたが、ある不幸な事件から明治維新後は一転して「不殺(ころさず)」を誓い、流浪人(るろうに)として全国を旅し、弱き人たちのために剣を振るっていた。神谷薫との出会いや、同じ激動の時代を生き抜いた宿敵たちとの戦いを通じて、贖罪の答えと新たな時代での生き方を模索していく。

生来争い事を好まない性格だが、戦国時代に端を発する古流剣術飛天御剣流(ひてんみつるぎりゅう)の使い手で、ひとたび戦いとなれば逆刃刀という、峰と刃が逆転した刀で人智を越えた剣技を繰り出し、軍の一個大隊(当時の陸軍一個大隊は約1000?2000人)をも遥かに超える戦闘能力を発揮する。