2014-09-29
大事な嘘と忘れた本音
先月だか先々月の話、お父さんの手伝いでアルバイトしに行った。業者が発注ミスで違う部材を持ってきた。作業ができなくなった。僕と弟とお父さんは神奈川県の三浦半島まで釣りに出かけた。



僕と弟は現代っ子なので釣りというアウトドアな遊びはあまり知らない。寧ろ「余裕のある大人がやる高尚な遊び」とさえ思っている。竿やらリールやら糸やら仕掛けやら針やら餌やら、揃えるものが沢山あるからだ。釣りは釣りキチ三平とグランダー武蔵と川のぬし釣り3しか知らぬ。
釣り自体、最後にやったのは恐らく5~6年前に、その時もお父さんと弟とハゼ釣りに出掛けた時くらいだった。その感覚を忘れて釣りを楽しんだ。楽しんだというか、頑張った。



・何を頑張ったか
(1)釣り餌
僕は虫がとっても苦手なのに、釣り餌は大体昆虫である。今回も前回もイソメというポピュラーな釣り餌で釣りをした。色味的にも1番魚が釣れるらしい。イソメはムカデのような見た目をしており、お世辞でも可愛いと言えた見た目ではない。釣り餌というメリットが無ければ嫌いになっていたところだった。コイツをハサミで何等分かに切って釣り針に付ける。最初気持ち悪かったけど慣れたら手で触れるくらい大丈夫になった。



(2)生魚
生きている魚というのはなかなか触れる機会がない。水族館でも触れる魚は限られている。ヒトデなら触れる。今回釣りをするということは釣った魚の針を自分で抜かなくてはならないという事だ。それが大変だと思った。おれは生魚を触ることが出来ない怖いです。



(2-1)掴むの怖い
あまり釣りという文化に慣れしたしまない自分は生魚を掴むのが怖かった。当然だが魚は急にバタバタする。ジッとしててほしい。針が抜けないじゃないか。おかげで陽に晒しすぎて死んでしまった者もいればグッと掴みすぎて腸や卵が出てしまったりした。おれはそれくらい魚を掴めない。自分も拉致監禁されたりしたら急にバタバタしようと思った。



・イソメについて思った事、感じた事
前述のとおり、イソメはムカデに似た昆虫である。用途は釣り餌なので、魚の口に入るようにコイツは何等分かにされる。この時「イソメはなんて業の深い生き物だろうか」という事を考えた。イソメの身体を切ると、当然だがジタバタする。痛覚があるのかないのかわからないが、何か違和感を感じてジタバタしているのは確かだ。そしてその切られた身体は更に「針に刺される」という工程を経て「魚に食べられるor海に放られる」という結末に陥る。もし自分がイソメの立場であればこれは限りなく酷い拷問だと思った。おれは生まれ変わるなんて制度があるならば絶対にイソメにはなりたくないと思った。



ただ大体の、人間に食される動物は同じような結末になっているだろう。しかし僕はこの人生は嫌だと思った。ちぎられて、刺されて、強者に食われるなんてそんな苦しみに追いかけられる人生なんて。

菊地椋介(ギター)

短身痩躯で赤い髪の優男で左頬にある大きな十字傷が特徴である。一見朗らかで少し間の抜けた人物だが、かつては長州派維新志士で、幕末最強とまで謳われた伝説の剣客「人斬り抜刀斎」その人である。修羅さながらに殺人剣を振るい数多くの佐幕派の要人を殺害してきたが、ある不幸な事件から明治維新後は一転して「不殺(ころさず)」を誓い、流浪人(るろうに)として全国を旅し、弱き人たちのために剣を振るっていた。神谷薫との出会いや、同じ激動の時代を生き抜いた宿敵たちとの戦いを通じて、贖罪の答えと新たな時代での生き方を模索していく。

生来争い事を好まない性格だが、戦国時代に端を発する古流剣術飛天御剣流(ひてんみつるぎりゅう)の使い手で、ひとたび戦いとなれば逆刃刀という、峰と刃が逆転した刀で人智を越えた剣技を繰り出し、軍の一個大隊(当時の陸軍一個大隊は約1000?2000人)をも遥かに超える戦闘能力を発揮する。