2014-09-13
無口に意味を重ねながら!
いつだか会社の人に「菊地の曲のアレンジ力は生まれ持ったものでしょう?努力じゃないじゃん」的な事を言われました。
恐らく、他に言うことが無かったからそう言ったのでしょうが、おこがましいながらも、僕に曲のアレンジ力があるとするならば、それは努力の賜物です。



17歳とかにシーケンサーかなんかで作った曲を聞いてみました。当時友達に聞かせたらめちゃくちゃ笑われましたが再度自分で聞いてみたところ、(全然よくなくてっていうか逆に面白くて)笑ってしまいました。
18歳の時ににバンド友達と曲を作ろう!ってなってボーカルメロディとドラムだけ入った音源を持っていき、聴いてもらいました。「ドラムがダサい」と言われその曲はボツになりました。



文章も最近褒められる事が多くなり、とても嬉しく思っています。しかし、このブログを遡っていくと最初の方の記事はつまらないと思うかもしれません。僕はつまらないと感じていました。途中から少しずつ要領を得て、今に至ります。mixiやモバゲーの記事なんか、本当に恥ずかしい文章を書いています。恥ずかしいけどそれもやっぱり逆に面白いので、勿体無いからと思いつつ非公開にしました。



自分は挫折を繰り返して学習しているのです。しかも頭が悪いから、なるべく頭を使わないようにしているので、挫折の回数が人の何倍も多いと思います。挫折して先に進めるのは先に進む意思が今の僕にはあるからです。そして文章を書くことも、曲を作ることも、ギターを弾くことも、「楽しい」と感じているから挫折がそこまで苦では無いのでしょう。



自分の人生のこの先、一生幸せになれてなくても、誰が見たって不幸そうでも、自分は死ぬ時「いい人生だった」と言うでしょう。転んでも立ち上がって歩いた分だけ自分を変化させる事ができるんだな、とか思いました。
少なくとも今の自分はそんな感じだな、と思っています。

菊地椋介(ギター)

短身痩躯で赤い髪の優男で左頬にある大きな十字傷が特徴である。一見朗らかで少し間の抜けた人物だが、かつては長州派維新志士で、幕末最強とまで謳われた伝説の剣客「人斬り抜刀斎」その人である。修羅さながらに殺人剣を振るい数多くの佐幕派の要人を殺害してきたが、ある不幸な事件から明治維新後は一転して「不殺(ころさず)」を誓い、流浪人(るろうに)として全国を旅し、弱き人たちのために剣を振るっていた。神谷薫との出会いや、同じ激動の時代を生き抜いた宿敵たちとの戦いを通じて、贖罪の答えと新たな時代での生き方を模索していく。

生来争い事を好まない性格だが、戦国時代に端を発する古流剣術飛天御剣流(ひてんみつるぎりゅう)の使い手で、ひとたび戦いとなれば逆刃刀という、峰と刃が逆転した刀で人智を越えた剣技を繰り出し、軍の一個大隊(当時の陸軍一個大隊は約1000?2000人)をも遥かに超える戦闘能力を発揮する。