2014-10-07
ぜんぶ

この前メンバーとラーメン食べた時に脂ギットギトのラーメンを食べた。家に帰ったら気持ち悪くなってきて、横になった。身体中がむくんでいたようで、血管の血を心臓が一生懸命押し流しているのがわかった。頭の血管もぱつんぱつんで「いっそこのままどこか血管が切れて死ねばいい」と思った。次の日の朝、普通に起きた。

自分は目が悪い。運転する時だけ眼鏡を掛けるが、あとは裸眼だ。高校生になる頃まで視力Aだったのに、そこからどんどん視力が落ちていった。視力が落ちていった原因はよくゲームのし過ぎとか言われていたが、普通に遺伝だろうなと思う。ゲームのし過ぎで目が悪くなるなら現実世界とかいうハイビジョン無理ゲーを嗜んでる時点でどんどん視力が悪くなっていくはずだ。眼鏡を掛けた時、よく思う。この世界は綺麗過ぎる。色の情報が多すぎる。疲れちゃうので、目が悪いまま生活している。

当然だがヒトの身体は年数を重ねるごとにさびていく。最初は鮮やかに見えた景色も色褪せていくらしい。今の自分はどれくらい色褪せて見えてるのかはわからないが、少なくとも4年くらいは景色で感動してない。綺麗な景色とは、生まれてすぐ見に行ったほうがいいのか。感動できる心と目がある内に。

2014-09-29
大事な嘘と忘れた本音

先月だか先々月の話、お父さんの手伝いでアルバイトしに行った。業者が発注ミスで違う部材を持ってきた。作業ができなくなった。僕と弟とお父さんは神奈川県の三浦半島まで釣りに出かけた。

僕と弟は現代っ子なので釣りというアウトドアな遊びはあまり知らない。寧ろ「余裕のある大人がやる高尚な遊び」とさえ思っている。竿やらリールやら糸やら仕掛けやら針やら餌やら、揃えるものが沢山あるからだ。釣りは釣りキチ三平とグランダー武蔵と川のぬし釣り3しか知らぬ。
釣り自体、最後にやったのは恐らく5~6年前に、その時もお父さんと弟とハゼ釣りに出掛けた時くらいだった。その感覚を忘れて釣りを楽しんだ。楽しんだというか、頑張った。

・何を頑張ったか
(1)釣り餌
僕は虫がとっても苦手なのに、釣り餌は大体昆虫である。今回も前回もイソメというポピュラーな釣り餌で釣りをした。色味的にも1番魚が釣れるらしい。イソメはムカデのような見た目をしており、お世辞でも可愛いと言えた見た目ではない。釣り餌というメリットが無ければ嫌いになっていたところだった。コイツをハサミで何等分かに切って釣り針に付ける。最初気持ち悪かったけど慣れたら手で触れるくらい大丈夫になった。

(2)生魚
生きている魚というのはなかなか触れる機会がない。水族館でも触れる魚は限られている。ヒトデなら触れる。今回釣りをするということは釣った魚の針を自分で抜かなくてはならないという事だ。それが大変だと思った。おれは生魚を触ることが出来ない怖いです。

(2-1)掴むの怖い
あまり釣りという文化に慣れしたしまない自分は生魚を掴むのが怖かった。当然だが魚は急にバタバタする。ジッとしててほしい。針が抜けないじゃないか。おかげで陽に晒しすぎて死んでしまった者もいればグッと掴みすぎて腸や卵が出てしまったりした。おれはそれくらい魚を掴めない。自分も拉致監禁されたりしたら急にバタバタしようと思った。

・イソメについて思った事、感じた事
前述のとおり、イソメはムカデに似た昆虫である。用途は釣り餌なので、魚の口に入るようにコイツは何等分かにされる。この時「イソメはなんて業の深い生き物だろうか」という事を考えた。イソメの身体を切ると、当然だがジタバタする。痛覚があるのかないのかわからないが、何か違和感を感じてジタバタしているのは確かだ。そしてその切られた身体は更に「針に刺される」という工程を経て「魚に食べられるor海に放られる」という結末に陥る。もし自分がイソメの立場であればこれは限りなく酷い拷問だと思った。おれは生まれ変わるなんて制度があるならば絶対にイソメにはなりたくないと思った。

ただ大体の、人間に食される動物は同じような結末になっているだろう。しかし僕はこの人生は嫌だと思った。ちぎられて、刺されて、強者に食われるなんてそんな苦しみに追いかけられる人生なんて。

2014-09-13
無口に意味を重ねながら!

いつだか会社の人に「菊地の曲のアレンジ力は生まれ持ったものでしょう?努力じゃないじゃん」的な事を言われました。
恐らく、他に言うことが無かったからそう言ったのでしょうが、おこがましいながらも、僕に曲のアレンジ力があるとするならば、それは努力の賜物です。

17歳とかにシーケンサーかなんかで作った曲を聞いてみました。当時友達に聞かせたらめちゃくちゃ笑われましたが再度自分で聞いてみたところ、(全然よくなくてっていうか逆に面白くて)笑ってしまいました。
18歳の時ににバンド友達と曲を作ろう!ってなってボーカルメロディとドラムだけ入った音源を持っていき、聴いてもらいました。「ドラムがダサい」と言われその曲はボツになりました。

文章も最近褒められる事が多くなり、とても嬉しく思っています。しかし、このブログを遡っていくと最初の方の記事はつまらないと思うかもしれません。僕はつまらないと感じていました。途中から少しずつ要領を得て、今に至ります。mixiやモバゲーの記事なんか、本当に恥ずかしい文章を書いています。恥ずかしいけどそれもやっぱり逆に面白いので、勿体無いからと思いつつ非公開にしました。

自分は挫折を繰り返して学習しているのです。しかも頭が悪いから、なるべく頭を使わないようにしているので、挫折の回数が人の何倍も多いと思います。挫折して先に進めるのは先に進む意思が今の僕にはあるからです。そして文章を書くことも、曲を作ることも、ギターを弾くことも、「楽しい」と感じているから挫折がそこまで苦では無いのでしょう。

自分の人生のこの先、一生幸せになれてなくても、誰が見たって不幸そうでも、自分は死ぬ時「いい人生だった」と言うでしょう。転んでも立ち上がって歩いた分だけ自分を変化させる事ができるんだな、とか思いました。
少なくとも今の自分はそんな感じだな、と思っています。