
いつもしてるけど、自分の話をする。今日はなんだか一段と、自己陶酔に浸りたい気分なのでございます。
「悪の教典」という映画を見た。恐ろしく淡々と人をぶっ殺していく映画だった。救いようがなくて、中盤、アッハッハ、と笑った。
それで自分も人を殺すときは淡々と殺していくだろうなと思った。相手が抵抗してこない限りは冷静な判断をすると思う。しかし自分は蓮見(映画でめっちゃ殺してく人)のようなサイコ・キラーでは無いし、もっとも、人を殺して地位を得ようとか、富を得ようとか、罪の隠蔽を図ろうとか、そういう考えには至らない。自分はコツコツとドラクエやモンスターハンターのプレイの如く涙を流しながらレベルを上げていったりアイテムをチマチマと集めていくほうが性に合ってる。と思うのだ。
そんな事を一日中考えてたら気が滅入った。高校の同級生やらその頃からの知り合いがたくさんいるSNSで「死にたい」と呟いた。この行為自体定期的なもので、何かあると自分はすぐ「死にたい」と呟いている。もっと死にたいと思っている人なんて星の数ほどいるのに、誰かに甘えて反応を得ようとしている自分が気持ち悪い。1週間のうちに何度か「死にたい」と呟く。呟くと「自分は特別に死にたい気持ちなんだぜ」という気持ちになる。それがきっと気持ちいいんだと思う。
割とみんなスルーしてくれるのだが、たまに心配してくれる優しい人がいる。嬉しく思う時が10割。「うち来なよ」とか言ってくれたり「私が殺すまで死なないでね」とか狂気じみてはいたりするもののなんだか愛を感じる言葉を放ってくれる人がいる。自分は到底1人では生きれぬのだと悟る。
「頼っていいよ」って言われて「君は支えきれるか?」と暗黙に問う。そしてまた暗黙に了解を得た後「じゃあ、頼るね」と言って助けてもらう。この行程を経て、ようやくなんか色々軽くなる。みんなそうだと思う。
後で読み返して死にたくなるんだろうな。死のう。
